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| 南米ブラジル。ここがシンの長い旅の始まりと言える。高校を卒業すると同時にブラジルをサッカー留学で訪れていた。子供のころから体が弱かったシンにとって、「サッカーを思いっきりやってみたい」、それは長年の憧れであった。大学合格の通知を受け取ると、入学延期を申請し、最後の学生生活に入る前にこの夢をかなえることにした。 |
両親の深い理解を得てのブラジル行きではあったが、あまり負担はかけたくない。貧乏留学生である。朝から晩まで何時間もボールをけり続け、帰り道にポケットの小銭でパンを買い、それをかじりながら一日が暮れていく。シンにとっては十分に満ち足りていた。そんなある日、現地で路上をさまよいながら物乞いをするひとりの子供に呼び止められる。シンの手には今日の最後の小銭で買ったその日の唯一の夕食であるパン。が、何かを考える前に、シンの手は一切れのパンを子供に差し出していた。その子供がシンに向けた瞳と「Obrigado-ありがとう」の一言が、その後のシンの人生をまったく違うものに変えてしまうとは、思いもしないで。シンは不思議なことに気がついた。本当は自分だっておなかがペコペコだったはずなのに、子供と別れたあとには空腹感はなくなっていた。
「ラテンアメリカの貧しい子供たちのために何かできないか。」
小さな芽が息吹いたのはこの瞬間である。 |  |
| 大学生活が始まり、学内の活動を通じてホンジュラスの小さな村を訪れたことで、この小さな芽が大きく枝葉を伸ばすことになる。ここでもブラジルで出会ったあの子と同じ目の子供たちがシンを待っていた。そしてその帰路の飛行機でミルウォーキーの慈善活動家ヘンリー・オズバーン氏とたまたま隣に座り合わせたことで、シンの進む道がはっきりと見えたのである。 |
| ホンジュラスのエル プログレソ市にあるコプローム児童養護施設は、経済状態の悪化で継続不可能な状態に陥り、そこで暮らす65人の子供たちは、明日にも路頭に迷ってしまうと言う。何とか状況を打開しようと奔走するオズバーン氏は、しかし言葉の壁に悩まされていた。そこでブラジル留学中にポルトガル語・スペイン語を身につけたシンに、渡航費はすべて持つからコプロームへ行ってみないかと声がかかる。飛行機の中で数時間前にに知り合ったばかりのこの男のオファーを、シンは一瞬の迷いも無く受け入れた。 |
| 藤山シンが、動き始めた。今、成し遂げたいことは、皿洗いのアルバイトでシンが稼ぐお金では手も足も出ないことはわかっていた。そこで彼はキャンパス内に立ち、手作りのチラシを手に通りかかる学生たち一人ひとりに現地の写真を見せて、自分の言葉で何を成し遂げたいかを伝えることからはじめた。 |
| 一人、また一人。シンの言葉、熱意、ビジョンに共感を受けて学生たちが集まり始めた。 |
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